『空の瞑想教室に10ヶ月通ったオジサンの、8泊9日宿泊瞑想体験レポート』その9
最後のグループ瞑想では?
最後のグループ瞑想の時に、これまでの感想を述べる機会があって(何を話したか記憶にない部分もあるのですが)支離滅裂なことを話していたように思います。
(如何に、我々のmindは過去の記憶とそれに付随した考え・価値観を参照することでしか判断が出来ないものなのかということが、このことで改めてよ~く分かりました)
この時の状況について、幾分時間が経過した今、改めて振り返ってみたいと思います。
(この状況のスピリチュアル的分析・解説は先生にお任せし、私はその時の状況や感じていたことに徹します)
まず、言っておきたいのは、その時は、(私のmindが)泣き出す直前の会話(先日の他の参加者と会話して気付いたこと)に感激して、泣き出したのかと思ったのですが、振り返るとそうではありませんでした。なぜなら、その内容自体は、このとき以前に他の参加者の何人かと会話しており、新鮮味はなくなっていたからです。
普通、ある内容に感激する場合は、初めてその内容に触れた場合がほとんどだと思いますが、そうではありませんでした。
あと、一般的に考えれば、ある一定期間、ある意味自分を追い込むような特殊な環境下に置かれれば、それが終わるとき、ホッとしたり、やり遂げた感で泣くというよくあるパターンなのではと 分析する方も多いと思いますが、だとしたら、その場合は、終わりを告げるセレモニーの時に泣けると思います。
(よくあるのは、卒業式とか。この手で思い出すのは、バブル期に中間管理職を山中の合宿所に2週間くらい閉じ込め、無理難題の課題をやらせるという ”地獄の特訓”です。その卒業式の時にオジサン達が全員号泣しまくってるというのが、テレビで何度か放映されていたっけ。日経にデカい広告がよく掲載されていたなぁ)
しかし、タイミング的には、そんな感じでは全くなかったです。