みなさん、こんばんは(^ ^)
今朝の誘導瞑想のメッセージでは、こんなお話がありました。
「瞑想は、”私はこうしたい”という、純粋な愛の核に入ってゆく時間です。
そして、そこから溢れ出るものが広がりやすくなることにも、大変有用なものです。
“自分はこうしたい”というものが分からなくても、焦ったり自分を責めたりしないで下さい。
それら全てのものは、瞑想で内側に入ってゆく刺激となります。
そして内に入るほど、愛の核がいざ溢れ出るときには、起爆的な発展力と持続力を見せるのです。」
このお話を聞いていて、『瞑想=弓を引き絞っている時間』のお話を、思い出しました。
弓を引き絞れば引き絞る(=瞑想)ほど、それが放たれたとき(=日常)は、その飛ぶ距離と影響力ともに、大きなものとなる、というお話です。
瞑想による変化が感じられない人は(深くでは必ず何がしかの変化は起こっているものですが)、実のところ、誰よりも深く弓を引き絞っている人なのかもしれません。
弓が放たれたときに起こる変化が、楽しみになりますね!
どちらにしても、十人十色の放物線を描く弓の軌跡は、周囲と比べられるものではありません。
「真の自分」だけが、成就するのだと思います。
したがって、本当の自分とは何者であるかを知ることが、大切なのでしょう。
瞑想のある日常こそ、その答えを直接的に知るための、唯一のものだと感じるのです。
瞑想スペースAOYAMAスタッフ:浅子