『空の瞑想教室に10ヶ月通ったオジサンの、8泊9日宿泊瞑想体験レポート』その5
60時間のSilenceとは?
6/2(月)夜から5日(木)午前まで今回の山場のsilenceです。
トータル60時間、一切しゃべらず、人と目も合わさず、朝晩の軽い食事、若干の仮眠、風呂、トイレ以外はひたすら瞑想です。
何とか終えることが出来ましたが、silence突入前から3晩のうち、真ん中2日目の夜が山だなという予感があったのですが、予感的中でした。
夜になってきたら、頭・首・背中に激痛が走りだして、余りに強烈な痛みのため、寝れない、瞑想に集中出来ない、何も出来ない状態なので、気分転換がてら風呂に入ってみたら、少し和らいだので、瞑想再開したらまた激痛、このときは、途中リタイアが頭をよぎりました。
瞑想続けるか止めるかで揺らいでいたそのとき、急にスーパーのビニール袋のようなガサガサする音がしてきました。
その音が止んで、薄目を開けてみたら、目の前にドリンク(しかも私の大好きな炭酸系!)と「ちょっと一息入れてリフレッシュ」と書かれた紙が見えました。
先生が差し入れをしてくれたのでした。
普通の状況だと、あーっ、ありがとう、いただきま~す で終わりなのでしょうが、このときは、それらを見た瞬間から、急に痛みが和らぎはじめて、1本飲んでまた和らいで、しばらくしたらあの痛みはなんだったんだっけというくらい、すっかり痛みがなくなってしまいました。
差し入れのタイミングもやたらとタイムリーで、思わず目がウルウルしそうになってしまいました。
あとから思い起こせば、またその状況にいない人からすれば、このような追い込んだ、しかも意識を内側だけにベクトルを向けている状況下だからだったから、小さなことでイチイチ感動したんでしょー?とクールに分析するのでしょうが、そういう面もあったかもしれませんが、このとき程、救われた感を持ったことはなかった(何しろ激痛が消えていくのですから)のと同時に、するほうからしたら、大したことでなくても人を大きく救えるタイミングや場面というのがあるんだということを、つくづく感じました。
(相手から感謝されることを期待して何かしようとすると、何か目立つアクションをしようとしますが、別に人に喜ばれなくても、何かそれで少しでも物事が円滑に進んだり、改善されたりすると感じたら、感じるままに瞬間的に動けばよいではないでしょうか)