身体感覚のシフト感がどんどん変化・・・瞑想をやってなければ知ることのない世界を知る

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    瞑想をやってなければ知ることのない世界

    フルフィルメント瞑想体験談(50代男性・T.Kさん)

    2月でフルフィルメント瞑想始めてまる2年になりました。いろいろありがとうございました。

    ハ―トマントラ伝授時の頭痛はいったいなんだったのでしょうか?
    これが瞑想?頭痛=瞑想?ん~っ?これってなに? という感じでしたね。

    その後も、ただ座って目をつむっているだけの時間だったり、真夏のクーラーのない車の中での排ガスと騒音に悩まされながら汗まみれのボロボロな瞑想の時間。

    「いったいこれはなんだかなぁ」と言う思いしか残らない瞑想が多々ありました。
    山あり谷ありながらも月一回の一日瞑想会とグル―プ瞑想会を欠かしたことがなかったこと、と1日も瞑想しなかった日はなかったのが唯一の取柄でしょうね。

    (いろんな体験の多様性はありますが、あまり進歩を感じない自分を慰めています)

    瞑想会でのクリア―な体験とグル―プパワ―が造り出す場の違いに引かれて続いてるのだと思います。

    ボブさんの著書「フルフィルメント瞑想基本概念」のなかで、「効果的な瞑想が出来ていないという思いが湧いて来るときの瞑想が、実は一番効果的に出来ている」と逆説的に友人の言葉としてありますが、早くこの本を読んでおいたら、むだな瞑想だったと思うこともなかったのではと今思います。

    なんだかんだ瞑想を続けてこれたのは、身体感覚の微妙な変化に気付き始め、こんな世界があるのかという驚きがあったからでしょう。

    身体感覚のシフト感がどんどん変化し日常的な肉体としての身体が全く別の体、としか見えない身体、光の粒子の集まりとしか感じられない身体。この身体を通して見える世界と見られる、何もない自己。
    瞑想をやってなければ知ることのない世界だとおもえます。

    うまく瞑想が出来ていない時にマントラを強く念じたり、口にしたり、ヤントラをイメージしようとしたりして、マントラとヤントラを強く握って手放さないで、またうまくいかない悪循環になる傾向があるようです。

    この点も、ボブさんの本の中で、「瞑想中のどのような体験でも―すばらしいと思える体験や雑念ばかりでも、怒りが湧いて出ることでも瞑想中に起こることは どんなこともカルマの解放なのです。その体験の意味を問い質したり、追及したり、掴んだままにしたりしてはいけません。ただ手放しなさい。それと同じよう にマントラを空に手放しなさい。」とありました。

    体験的にヤントラを忘れてもいいくらいにうすく感じるだけで瞑想に入って行けるのはずっと身軽になっていいですね。これは本を読んだ後の最近の発見でした。

    ところで、《ナラシムハ》でしたか?
    瞑想中に首筋に手のひらを当ててもらうヒ―リング。なかなかいいですね。

    前の1日瞑想会でNちゃんにやってもらったら背骨が目覚め始めた感じです。その後、しばらく背骨にあたたかさが残りました。

    いつも昼間に感じていた、眠気の薄皮がとれた感じです。スッキリした気分です。
    こんな秘密兵器があったんですね。

    明日のグル―プ瞑想会でまたやってもらえないでしょうか?
    お願いします。楽しみにしてます。

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