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    『空の瞑想教室に10ヶ月通ったオジサンの、8泊9日宿泊瞑想体験レポート』 〜3日間60時間のサイレンス中、50時間の瞑想がもたらした、言葉にならない感覚・意識の夜明け〜M.N(51歳)

    『空の瞑想教室に10ヶ月通ったオジサンの、8泊9日宿泊瞑想体験レポート』


    〜3日間60時間のサイレンス中、

    50時間の瞑想がもたらした、言葉にならない感覚・意識の夜明け〜 M.N(51歳)
    (※本内容は、あくまで私個人の視点から見た体験記ですので、リトリートでのイベント全体を均一的に取り上げておりません。また、同じイベントに対する感想・意見が他の参加者様と異なる点もままあると思いますので、予めご了承の頂き、一つの参考情報としてお読みいただければ幸いです。)

     

    練られた段取りとスケジュールとは?

    昨年8月から瞑想スペースaoyamaでお世話になりはじめ、今年2月末の合宿に続いて、2度目の合宿リトリートの参加です。

    前回は、2泊3日の短期間でしたが、今回は8泊9日の長期で、中間に3泊のsilenceが入るということで、最後までやり切れるのかという不安は、若干あったものの、先生、先生のお母様、食事などのお世話をしてくれたボランティアの皆さん、参加者の皆さんの助けによって、無事に終えることが出来ました。

    皆さんには大変感謝しております。ありがとうございました。

    因みに、全日程参加者は私を入れて4名でなぜか全員オジサン、中年パワー炸裂といったところでしょうか(笑)

    何とかやり切れたのは、皆さんの助けがあったこともさることながら、先生のスケジュール、段取りがよく練られていて、緩急(温泉巡りや田んぼ仕事体験など)を付けながら山登りし、中間のsilenceで頂上を目指し、また下って来る内容となっていたのも大きい要因と感じました。

    しかし一方、延べ人数としては20数名でほとんどの方がある期間での部分参加なので、どの期間に参加してもそれなりの成果が得られるように仕組まれていたのは流石です。(この計画からそのための準備も含めて先生がほぼ単独で行っていたのは、スゴイの一言です)

    〜 〜 〜 〜 〜

    この先、大丈夫なのか?

    とはいえ、スタート当日(5/30)の夜ですが、会場である先生の実家「希望の家」近くのバス停集合場所で、いきなり先生の車が私の車(大半の参加者は現地までバス、電車での移動でしたが、期間中の移動手段で車が何台か必要となったため、私は運転手ボランティアとして自家用車で現地入り)に追突するアクシデントが起き、「この先大丈夫なのか?」と大いに不安を覚えたのも確かです(笑)
    (勿論、リトリート後、先生持ちで修理。想定していたよりかなり安価で修理出来たので、先生ホッとする(笑))

    最初の3日間が金・土・日と週末ということもあり、最も参加者が多く(17~18名くらい)、私のような全日程参加者的には、ウォーミングアップ期間、というかお祭り騒ぎ感覚でしたが、この3日間だけの参加者の方にとっては、短期間ということもあり、夜通し瞑想など集中して取り組んでいたようで、それぞれ何かを掴んで帰られていかれたようでした。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    エネルギーのチャージとコントロールとは?

    6/1(日)夕方にドーッと参加者が帰られて、人数が半減以下となり、会場も急に静かになり、いよいよ決戦近しという雰囲気がやってきました。

    で、この日の夜のグループ瞑想の時、参加者の女性で頭痛がするということで、観音マントラヒーリングを試みたのですが、頭頂・手足から従来そこまで感じなかったものすごいエネルギーが出入りしてる感覚があり、
    3日間のうちに知らず知らずのうちに、エネルギーがチャージされてる、或はコントロールすることが出来るようになっていたんだと我ながら感心しました。

    とはいえ、単なる思い込みかもしれないという思いもあり、ヒーリング後の感想で、その女性が発言していたのは、頭痛は和らいだ、示唆的な言葉が聞こえた、背中に当てていた私の手がこの箇所に当ててほしいと感じた部分に移動していた、ということで、私自身はただ単に私の体を通じて高次とエネルギーを循環させることだけに集中していたので余り自覚がないのですが、手が勝手に必要と思われる箇所に移動していたというのはちょっと驚きでした。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    ヒーリング能力の開花?

    また、この女性の頭痛の原因はどこにあるのかと意識を集中したら、左肩から背中にかけて白く浮き上がるイメージを感じので、確認したところ確かに左側に肩凝りがあるということでした。

    これについては、改めてその女性と会話する必要があるのですが、その女性と私が各々感じたことを総合すると、もしかしたら、頭痛→左肩の肩凝り→示唆的な言葉の内容(思い込み、拘り)という因果関係があるかもしれません。

    何れにしろ、なんらかの効果があったようで、今後も機会があれば、瞑想会のときなどにトライしてみたいと思います。(体調悪い方、一声掛けてみてください)

    それと、このグループ瞑想後、先生のお母様と会話していたとき、頭頂に金色の光が輝いているのが見えると言われ、ちょっとは何か能力が開花してきてるのかなと、(本筋とは関係ないのですが)表面的には冷静な顔を取り繕いつつ、(俺もヒーラーになれるかもと)内心嬉しく思ってしまいました(笑)

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    60時間のSilenceとは?

    6/2(月)夜から5日(木)午前まで今回の山場のsilenceです。

    トータル60時間、一切しゃべらず、人と目も合わさず、朝晩の軽い食事、若干の仮眠、風呂、トイレ以外はひたすら瞑想です。

    何とか終えることが出来ましたが、silence突入前から3晩のうち、真ん中2日目の夜が山だなという予感があったのですが、予感的中でした。

    夜になってきたら、頭・首・背中に激痛が走りだして、余りに強烈な痛みのため、寝れない、瞑想に集中出来ない、何も出来ない状態なので、気分転換がてら風呂に入ってみたら、少し和らいだので、瞑想再開したらまた激痛、このときは、途中リタイアが頭をよぎりました。

    瞑想続けるか止めるかで揺らいでいたそのとき、急にスーパーのビニール袋のようなガサガサする音がしてきました。

    その音が止んで、薄目を開けてみたら、目の前にドリンク(しかも私の大好きな炭酸系!)と「ちょっと一息入れてリフレッシュ」と書かれた紙が見えました。

    先生が差し入れをしてくれたのでした。

    普通の状況だと、あーっ、ありがとう、いただきま~す で終わりなのでしょうが、このときは、それらを見た瞬間から、急に痛みが和らぎはじめて、1本飲んでまた和らいで、しばらくしたらあの痛みはなんだったんだっけというくらい、すっかり痛みがなくなってしまいました。

    差し入れのタイミングもやたらとタイムリーで、思わず目がウルウルしそうになってしまいました。

    あとから思い起こせば、またその状況にいない人からすれば、このような追い込んだ、しかも意識を内側だけにベクトルを向けている状況下だからだったから、小さなことでイチイチ感動したんでしょー?とクールに分析するのでしょうが、そういう面もあったかもしれませんが、このとき程、救われた感を持ったことはなかった(何しろ激痛が消えていくのですから)のと同時に、するほうからしたら、大したことでなくても人を大きく救えるタイミングや場面というのがあるんだということを、つくづく感じました。

    (相手から感謝されることを期待して何かしようとすると、何か目立つアクションをしようとしますが、別に人に喜ばれなくても、何かそれで少しでも物事が円滑に進んだり、改善されたりすると感じたら、感じるままに瞬間的に動けばよいではないでしょうか)

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    Silence期間中の食事は?

    それとsilence期間中は、特に食事がありがたかったです(何しろ食っちゃ寝でなく、食っちゃ瞑想ですから)。

    シンプルなんですが、とても繊細かつ思いやり、気遣いを感じる食事で、この食事を通じてボランティアの方と唯一の会話をさせてもらっていた感がありました。

    改めて、先生のお母様とボランティアの女性にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
    (一度、朝食の時間を間違えて1時間早く食堂になっていたリビングルームに来てしまったにも関わらず、用意してくれてありがとうございました。)

    で、結局、全60時間中、瞑想の深さ・浅さはあるものの50時間程度瞑想するに至りました。
    (これって、毎日朝晩30分づつの計1時間瞑想が基本ですから、50日分の瞑想を一気にこなしたことになる訳です。我ながらスゴイ!!)

    このsilence中、激痛があったということは、何等かのカルマの解放があったのでしょうが、何のカルマだったのかは全く分からず、またイベントチックな大きな体験(覚醒体験みたいな)もなく、まあ何とかやり遂げることが出来たという達成感を得たといったところでしょうか。

    ただ、この期間は、四六時中、何をしていても頭頂・手足を通じてエネルギーが(高次と?)強力に交換されているのを感じていました。

    このエネルギー交換の感覚は、リトリートから帰ってきて、数日経ってこうして体験記を書いている今でも日常生活の中でも少なからず感じていますし、瞑想するとまたそれをより強く感じています。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    参加者全員の明確な変化とは?

    silenceが終われば、一気に6/7(日)最終日です。

    ここまで来て、つくづく感じたのが、全日参加または、特に6/1(日)の夕方以降に参加した人達全員に明確な変化があったことです。
    (6/1迄の3日間の参加者に関しては、人が多かったのと、6/1以降の濃密さが桁違いなせいもあり、変化があったかもしれませんが、それに気付けていません。スイマセン)

    私は、結構(かなりかも)瞑想会の出席率が高いせいか、人が変わる瞬間に出くわすことがままあるので、変わること自体には余り驚かないのですが、ここまで一挙に人が変わるのを見ると流石に驚かざるを得ません。
    特に、全日程参加されたある男性は、合宿初体験・初参加で、しかも体調も芳しくなく、途中リタイア可能性ありという状況にも関わらず、見事にやり遂げ、その方は、silence直前に一度変化があり、silence後にまた変化していました。

    また、最終日前日に駆け込み参加された男性は、たった一晩で変化してました。

    更に驚きは、食事などのボランティアで最終日前日までと最終日まで参加されていた女性2名が、裏方作業でほとんど瞑想出来てないにも関わらず、変化していました。

    どう変化したかは、瞑想会に適度に参加されている方は分かると思いますが、幾つか共通する変化の特徴が見られます。

    身体的には、目がパッチリする、或はシャキッとする、顔の肌の色が白くなる、表情が豊かになるなど。

    行動的には、以前より人と会話をするようになる、自分の考えをしっかり伝えるようになる、人当たりが柔らかくなる、肩の力が抜ける、よく笑うようになる、以前より手伝ったり助けたりということを
    パパッとするようになる など。

    大抵、本人は変化したことに対する自覚がないというのも共通した特徴ですね。
    (私が変わったねと言っても、私を怪しいと思っているのか余り信用されないです(笑))

    何か一皮剥けて、隠れていた本来の自分が表に出てきて、生きることが少し楽になっているという雰囲気が醸し出されるといったところでしょうか。

    それがいたるところで起きていたのは、凄いとしか言いようがありません。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    覚醒体験の一種?

    という状況の中で、どうも最終日まで来たものの、感謝・感激・感動はあったものの、(しかも、silence開始直前のガイダンスで、先生が、今回のsilenceはババジが関わっています、なので、今ババジ1を実習しているお前が主役だ~といきなり指摘されたりもしたのですが)特段変化らしい変化もなく、スポンサーである自分自身に今回何を得たのか、何を報告するのかと考えた時、なんもないなぁ~という感じで、スポンサーである自分自身に対する言い訳的な成果報告を考えていたのですが、それは突然何の前触れもなく、この最終日の朝やってきました。

    私と共に、全日程参加している男性と会場である先生の実家(希望の家)の玄関前の駐車場で、オジサンネタの下らないことや先日他の参加者と会話して気付いたことをシェアしたりしておしゃべりしていたとき、突然泣けてきたのです。

    懸命に泣くのを止めようと頑張るのですが、一瞬止めてもまたすぐ泣けてきてしまい、このおしゃべりのあと、朝食、帰り支度、最後のグループ瞑想とスケジュールが続くのですが、一向に涙を止めることが出来ず、ほとほと弱り果ててしまいました。
    (何しろ、オジサン世代は、人前では男は絶対に泣いてはいけないと教え込まれてきましたから)

    このとき、これは、もしかしたら、覚醒体験の一種?と(若干の期待も込めて)mindが勝手に判断し、これはチャンスと思い、必至で冷静さを装い、この時の状況をノートに記述したりしたのですが、今読み返すと全然冷静なメモではありませんでした。

    そのとき、今思い返すと、私のmindは、過去の記憶や経験、スピ関連の読み漁った薄っぺらな知識を総動員して、何が起きているのか、何が原因なのかを必至で探そうとしていました。

    しかし、参照しようとしても当てはまるような記憶がないので、正直パニクってましたね。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    最後のグループ瞑想では?

    最後のグループ瞑想の時に、これまでの感想を述べる機会があって(何を話したか記憶にない部分もあるのですが)支離滅裂なことを話していたように思います。
    (如何に、我々のmindは過去の記憶とそれに付随した考え・価値観を参照することでしか判断が出来ないものなのかということが、このことで改めてよ~く分かりました)

    この時の状況について、幾分時間が経過した今、改めて振り返ってみたいと思います。
    (この状況のスピリチュアル的分析・解説は先生にお任せし、私はその時の状況や感じていたことに徹します)

    まず、言っておきたいのは、その時は、(私のmindが)泣き出す直前の会話(先日の他の参加者と会話して気付いたこと)に感激して、泣き出したのかと思ったのですが、振り返るとそうではありませんでした。なぜなら、その内容自体は、このとき以前に他の参加者の何人かと会話しており、新鮮味はなくなっていたからです。

    普通、ある内容に感激する場合は、初めてその内容に触れた場合がほとんどだと思いますが、そうではありませんでした。

    あと、一般的に考えれば、ある一定期間、ある意味自分を追い込むような特殊な環境下に置かれれば、それが終わるとき、ホッとしたり、やり遂げた感で泣くというよくあるパターンなのではと 分析する方も多いと思いますが、だとしたら、その場合は、終わりを告げるセレモニーの時に泣けると思います。
    (よくあるのは、卒業式とか。この手で思い出すのは、バブル期に中間管理職を山中の合宿所に2週間くらい閉じ込め、無理難題の課題をやらせるという ”地獄の特訓”です。その卒業式の時にオジサン達が全員号泣しまくってるというのが、テレビで何度か放映されていたっけ。日経にデカい広告がよく掲載されていたなぁ)

    しかし、タイミング的には、そんな感じでは全くなかったです。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    「それ」が起きたとき感じていたことは?

    その時、私と会話していた男性は、最初いったい何が起きたのか?みたいな顔をしていたのをなんとなく覚えています(笑)

    従って、何が起きて、何故起きたのかについては、私には正直よく分かりません。

    ただ、以下のことを感じていたのはよく覚えています。

    1.感激しているとか、悲しいといった感情より、見た目は泣いているにも関わらず、むしろなぜかとても穏やか、平穏、静かでかつ満たされている感覚。

    最後のグループ瞑想の時に何度か言葉にしていたように記憶していますが、とても”自然”な感じでした。

    なので、よくある覚醒体験談のようなバーンと来て、感謝と感激に包まれてボーっとしてしまうみたいな感覚ではありませんでした。

    2.人の感情や思いが細かく感じ取れるという感覚があった。(あくまで感覚です)

    3.ハートがかなり開いている感覚があった。最後のグループ瞑想で、先生のいつもの誘導のとき、ハートを開いて云々というのがありますが、そのとき、あっ既に開いているというがよく分かりましたが、誘導に従ってもっと開いてみたら、更に号泣状態になりました。

    4.前述の通り、mindは慌てふためいてかつ、ちゃんとそこにいるのですが、完全にmindは脇に追いやられていた。

    因みに、これも何となく予感していたのですが、最後のグループ瞑想が終わる頃に、一旦涙は収まり、その後海に行ったり、最後のランチをしたりして、無事解散となり、一人で運転して帰ったのですが、その車中でも暫く泣きが戻ってきてしまいました。

    もう一人の私が 運転ちゃんとしろーって言っていましたが(笑)

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    ”空”を通じて感じ取るとは?

    今回、このような体験をして思ったのですが、特に前ページ2.に通じることですが(このことは未整理のまま最後の瞑想会の感想でも口走っていたように記憶していますが)、人や動植物、無生物まで含めて各々の微細な感情・感覚・動きを感じ取れるということは、自分のことのように理解出来るということであり、自分のことのように感じ取れるということは、そこに分離や境目というのは無くなるということで、 それは身近なところからどんどん拡張していくということで、それは所謂ワンネス感に繋がるということなのかなということです。

    私は地球・宇宙全体などといったレベルでのワンネス感などというのは遠く及ばず、全然ありませんでしたが、そういうことなのかもしれないと思いました。

    これは、ボトムアップ的なアプローチでのワンネスの体感で、一方では、夕日を見ていたら、急に全ては一つだったと分かってしまうようなケースは、トップダウンのアプローチでのワンネスの体感なのかなあと思ったりもします。

    また、こういった微細なものを感じ取るためには、mindを消す(カルマの浄化)か、mindを脇に置けるようにして、所謂”空”を通じて感じ取れるようにするしかない、ということを改めて再認識しました。(そのための瞑想であり、ヨガということですね)

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    リトリートが終わって、数日経過して・・・

    あと、リトリートが終わって以降ですが、あれから数日経過していますが、
    ・いまだに、瞑想していない通常の生活の中でもハートが開いている感があったりしている
    ・相変わらず、頭頂・手足からエネルギーの出入りがある感覚が常にある
    ・人の顔が3重、4重に異なる表情の顔が重なって見える(以前一時期そうだったのですが、暫く無くなっていましたがまた戻ってきた感じ。難しい表情の人ほど、顔の重なりが多いですね)
    ・いいことも悪いことも含めて、何か大きな流れ(ダルマか?)に乗って生かされている感じがする、なので恐れ感が弱まっている、などといった感覚があります。

    しかし、人から見たら何か変わったのでしょうかね?
    (先生のお母様だけが、別人になったとさかんに言っていましたが、家族からのコメントは何もありませんね~(笑))

    リトリートから帰ってきて、暫く集中的な瞑想はいらないと思っていましたが、またやりたいなぁとちょっと思ってしまっている自分を見つけてしまいました(笑)
    (瞑想依存症って病気はあるのだろうか?)

    私のリトリート体験記は以上ですが、実は、今回のレポートでは書ききれなかったエピソードはまだまだあり(朝の畑仕事や海水浴、食事での出来事、最終日前日から参加した男性の夢で見た話し、最終日のグループ瞑想後の皆さんの感動的な感想、特に今回2度変化のあった男性の最後の話しは今思い出しても泣けます、などなど)

    それらについては、瞑想会の時にでも、シェア出来ればと思います。

    〜 〜 〜 〜 〜

     

    更にその後・・・

    この体験記を書いたのは、リトリート終了(6/7)の翌週でしたが、それから更に2週間程度過ぎた現在(6/27)、だいぶリトリートの興奮も落ち着いてきましたが、更に以下の変化を感じています。

    私に関しては、
    ・以前より涙もろくなった(しかも、一般的にはどうでもよいような事象に対して)
    ・以前より困っている人を見ると放置しておけない感が強くなった(どう行動するかはともかく)
    あと、家族(妻)に関してですが、
    ・以前より、いつも穏やかでいるようになった(怒られなくて助かります(笑))。
    ・突然、瞑想をするようになった(私の妻は一時期TM瞑想をしていて、10年以上もやめていた)

    最後までお読み頂きありがとうございました。

    2014/06/28 M.N(51歳)

     

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